こんにちは、ハルチカの山田です。
今日は、岐阜の夏を代表する伝統文化「長良川鵜飼い」についてお話ししたいと思います。
実は私自身、子どもの頃に親に連れられて観に行ったのが最初の体験でした。そのときの炎の揺らめきや、鵜が鮎を捕える瞬間の迫力は、今も鮮明に覚えています。今では旅館やホテルへの納品を通じて、この行事と深く関わるようになり、仕事の場面でも身近な存在になりました。
地元に住んでいても「実は船に乗ったことがない」という方も多いのですが、近年は学校行事の中に取り入れて子供達には身近になったそうです。せっかくの故郷の宝ですので、あらためてご紹介させていただきます。
鵜飼いの歴史
長良川鵜飼は、毎年5月11日から10月15日まで行われています。全国にも鵜飼いはありますが、宮内庁の職員として「鵜匠(うしょう)」が務めるのはここだけ。現在、鵜匠はわずか6人です。
その歴史は古く、織田信長が保護した記録が残り、岐阜城から眺めたと伝えられています。その後、徳川家康も庇護し、鮎街道を通じて全国へと鮎が広がりました。明治時代には国が保護に乗り出し、今日まで大切に受け継がれています。
ちなみに岐阜には関市の「小瀬鵜飼」もあり、こちらは規模は小さいものの、しっとり落ち着いた雰囲気で楽しめます。提供されるお料理が少しずつ違うのも魅力です。
ちなみに長良川鵜飼の石金さんで提供されるお食事はこちら(時期によって異なります)
鵜がとらえた証「歯形の鮎」
鵜飼といえば、やっぱり鮎。なかでも有名なのが「鵜の歯型がついた鮎」でしょう。鵜が飲み込んで喉袋にとどめた鮎は、窒息することで身が締まり、自然に「活け締め」された状態になります。その鮮度と旨味の高さから、特別な高級品として珍重されてきました。
せっかくなので、少し前に撮った写真をお裾分けします。長良川鵜飼の様子が伝わるといいのですが。
煌々と光る松明の下、目の前で繰り広げられる鵜匠と鵜のコンビネーションは実に見事でした。
ちなみみに、鵜飼開きで獲れた最初の鮎は、その日のうちに皇居へ献上されるという伝統も続いています。皇室の食卓にのぼる鮎だと思うと、なんだか誇らしい気持ちになりますね。
地元の思い出と今
地元に住んでいると、意外にも鵜飼船に乗ったことがない方が多いのですが、岐阜市の小学生は学校行事で観覧しております。大人達の皆さんにも観に行って貰える方策があるといいですね。
最近では仕事柄、鵜飼開きの際にお客様と一緒に船に乗ることもあります。初めての方に楽しみ方をお伝えしながら、同じ時間を共有できるのは、とても嬉しいひとときです。
バブル期には大変な賑わいを見せましたが、その後は年間およそ10万人前後に落ち着きました。現在は「鵜飼ミュージアム」や川辺の屋台など、船に乗らなくても楽しめる工夫が増えています。岐阜城や長良川温泉とともに、鵜飼は観光都市としての岐阜を支える大切な存在です。
ハルチカの鮎もお楽しみください。
伝統と自然、そして食文化が融合する長良川鵜飼。炎に照らされた川面を眺めるだけでなく、鮎料理を味わうことで、その魅力をより深く感じられると思います。
そして、鵜飼いで捕った鮎ではありませんが、我が家にとって鮎といえば晩夏から秋にかけてとれる「父の落ち鮎漁」。
その鮎を使った【おかえり鮎】もご好評いただいています。鵜飼いをきっかけに岐阜を訪れた際には、ぜひこちらも味わってみてください。